「死刑囚の臓器を取るのは公然の秘密だった」。中国中部の鄭州市の元警察官だったBさんは大紀元の取材に対し、1990年代半ばに目撃した囚人から臓器を摘出する行為について語った。当時、囚人から臓器を摘出する行為が横行していたという。
囚人を対象とする、本人の同意を得ない臓器や人体の利用は、その後、中国共産党政権によって中国全土で産業化した。特に、法輪功迫害が始まった1999年以降、全国で臓器移植用の病院が乱立した。信頼できる人権団体の報告によれば、国内外の移植希望者を顧客に迎える「臓器移植ビジネス」は、年間1兆円もの利益を生み出す巨大産業だという。
中国元警官のBさんは現在、米国に住む。大紀元は、Bさんが所持していた中国警察の身分証やその他の個人情報を確認している。身の安全のために個人情報は公開しない。
Bさんによれば、臓器供給網は中国の司法、警察、刑務所、医師、そして指令を出す中国共産党幹部らが関わる国家ぐるみの事業になっている。
Bさんは1996年に警察に入隊した後、しばしば、死刑判決が下される裁判所や市内の処刑場の警備に当たった。その後、Bさんは体制に対する批判的な言論を発表したことにより、1年以上拘置所に収監された。そこでBさんは死刑囚の扱いを観察することができた。パズルのピースを組み合わせるように、死刑判決から死刑執行、そして臓器の摘出までのすべてのプロセスが繋がった。
死刑囚は、逃げられないように手錠と非常に重い足錠をかけられ、1人から2人の犯人によって監視された。拘置所内にある専用の医療室では、ドナーとなる可能性のある囚人を特定するための血液検査が行われたほか、心身の健康状態もチェックされた。
Bさんによれば、臓器が移植に使用されることは死刑囚には伝えられなかった。そして、死刑執行は一般的に、大型連休の前に行われるという。
裁判所から死刑囚を運ぶ車
Bさんによると、死刑執行の対象となる死刑囚は毎回数人から十数人程度であり、死刑執行の決定が下されると裁判所の前で待機している20~30台の車両に乗せられる。車両には死刑囚以外にも、死刑執行に立ち会う裁判官や警察官僚、案件に携わった司法関係者なども同乗した。
すべての車の窓には赤い布や紙が貼られ、車体には番号が振られていた。
身体検査で臓器摘出に適しているとみなされた囚人は、死刑執行の「痛みを和らげるための薬」が注射される。しかし、Bさんによれば、それは脳死後に血液が凝固して臓器が損傷するのを防ぐための薬だという。
20代から30代の、若くて病歴がない健康な男性死刑囚が「ドナー」になることが多いという。
処刑場では囚人が一列に並ばされる。後頭部を射撃するためだ。警官であるBさんは、囚人からおよそ3~5メートル離れたところに立っていた。
死刑執行後、検死官が死亡を確認する。その後、黒いビニール袋で囚人の頭を覆う。選ばれた臓器摘出用の遺体は、近くに待機している白いワゴン車に運ばれる。カーテンが閉められており、中は見えないようになっている。
Bさんは、ワゴンの後部ドアが開いていたので、中をのぞいたことがある。そこには手術台があり、白いガウンとマスク、手袋をした2人の医師がいた。血液がこぼれるため、下にはビニールが敷かれていた。誰かが見ていることに気づいた医師たちは、すぐにドアを閉めた。
ワゴンのなかで何が行われていたのかは、医師以外には分からない。しばらくして遺体が車両から出されると、黒い死体袋に入れられて、そのまま火葬される。
囚人の死体はまとめて一つの窯で焼かれた。その結果、どの灰が誰のものなのか区別がつかなくなっているという。Bさんによれば、「(遺灰の)山から少し取りだして、それぞれの家族に渡していた」。
Bさんによれば、多くの遺族は何が行われたかも知らない。
新鮮な臓器を速やかに病院に運ぶため、この流れはスピーディだ。綿密な計画が鍵になるという。このことから、Bさんは、自分が警官になる前から、臓器強制摘出の慣習が長く続いていたのではないかと推測する。
「作業の流れ、手際の良さ、協力関係の緊密さは、1年や2年では考えられない」とBさんは述べた。取り出した臓器の価格まで、事前に知ることができたという。
臓器移植制度が整う前に 中国全土で移植病院が建つ
中国が初めて臓器移植を行なったのは1960年のことだ。2015年まで公式なドナー登録制度は整備されていなかった。中国共産党政権によれば、それ以前の移植臓器は死刑囚のものだと説明している。しかし、2000年代初期に、すでに国内の移植産業は急成長を遂げている。しかも、死刑執行数だけでは移植件数を満たすことができない数字だ。
中国の病院では、国内外の移植希望者のニーズに合わせて、数週間から数日で臓器移植を実施する。しかし、臓器移植システムが確立された先進国では、移植手術まで何年も、臓器や年齢によっては十数年待つこともある。
2019年、検察や弁護士など第三者委員会からなる人道犯罪を裁量する模擬裁判「人民法廷」は、中国共産党政権は「長年にわたり、かなりの規模で」移植用臓器を取り出すために人を殺害しており、いまもなお継続していると結論づけた。主な犠牲者は、収容された法輪功学習者、そしてウイグル人であるとした。
Bさんの証言は、1990年代に中国で不透明な臓器移植ビジネスに参加した複数の目撃者の証言と一致する。
中国で研修医だったジョージ・ジャン(仮名)さんは1990年代、中国東北部の都市・大連に近い陸軍刑務所付近の山間部で、2人の看護師と3人の軍医で行われた臓器摘出手術の補助を行った経験を、以前、大紀元に明かした。
臓器を摘出されていたのは若い男性で、動いたり叫んだりする反応はなかったが、体はまだ温かかった。医師らはこの男性から腎臓を2つ摘出した。その後、ジャンさんに眼球を摘出するよう指示した。
「その瞬間、まぶたが動いて、彼は私を見つめた」「その目には恐怖の色がみえた。私の頭は真っ白になり、全身が震えた」。この記憶は、何年にもわたりジャンさんを悩ませている。
1995年、新疆ウイグル自治区の外科医エンヴァー・トフティ氏は、右の胸を撃たれたばかりの生きた囚人から、複数の医師とともに、肝臓と2つの腎臓を取り出す摘出手術を行なった。
「胸を切開した時、血が噴き出した。つまり、彼はまだ生きていた。しかし、私は罪悪感を感じなかった。まるでロボットが任務を遂行しているようにしか思わなかった」「国家の敵(死刑囚)を排除するという仕事をしたと思っていた」と、2017年7月のパネルディスカッションで語った。上司の外科医は後に「何もなかった」と記憶するようトフティ氏に言ったという。
Bさんが以前務めた鄭州大学第一付属病院は、米非営利団体「法輪功迫害追跡調査組織(WOIPFG)」の調査によると、「オンデマンド(需要に応じた)」の臓器移植ビジネスが近年も続いているようだ。
同病院の看護師が2019年にWOIPFGに語ったところによると、自分たちの病院は腎臓移植の分野で国内トップ5に入り、2018年は約400件の手術を行った。
「旧正月も休んでいない、一日も休んでいない」と、病院関係者はWOIPFGの調査員に述べた。さらに、1日足らずで適合する腎臓が見つかったという。
臓器移植をめぐる人道問題を知ったBさんは、いたたまれず、3年も経たないうちに警官を辞めた。
Bさんの願いは、中国の人々が共産党政権の抑圧的な支配から解放され、民主主義の国で自由を手に入れることだ。
運命のいたずらなのだろうか。反体制的な言論を理由にBさんの拘束を命じたは市の共産党委員会書記は、収賄の罪で終身刑に服し、獄中死した。
「中国共産党の支配下では、誰も安全ではない」とBさんは述べた。「他人の身に起きたことは、明日、あなたにも起こるかもしれない」。
(EVA FU/翻訳・佐渡道世)
(転載:https://www.epochtimes.jp/p/2021/07/75525.html)